桜新町の結婚相談所グッドライフの、秋山です。
私は幼稚園から大学まで、カトリック系の学校で学び、クリスチャンではありませんが、
小さなころから、神様の存在や、善悪の判断、生きる姿勢などは、
自然と、その教育から身についたものがあります。
自分がその教育を受けて一番備わったこと、教育の賜物はこれだなと自覚できることは
道端の草からも幸せを見出す
ということです。すなわち
足ることを知る
これがこの教育をうけたおかげで、自然に身についたことで、これは自分の財産だと思っています。
今、小学校の時の同級生の男の子が、母校の校長になっており、私がこの話を彼にした時に、
彼は学校説明会などで、父兄や、入学を検討している親御さんたちに話をする機会が多いので、
ぜひそういう時にその話をしに来てほしいと言っていましたが笑
この話題はうちの娘との間にもよく出ることで、つい先日もその話がでて、
私たちは道端のタンポポを見ても、幸せだと感じることができるけど、
世の中には自分の庭中に、バラが咲き乱れていないと幸せだと感じられない人もたくさんいるということ。
そんなにたくさんバラが奇麗に咲いているのに、なんかこの花は色が気に入らないだの、
このバラはちょっと虫がついちゃっているだの言って、まだ文句を言っている人もいますね。
これは婚活にも大いに言えることで、上を見るのもいいけど、あなたはどれほどの者なのですか?ということです。
身の程を知る
これは本当に大事なことだと思っています。
私が35年前に母の期待を裏切って、何もない男と結婚した時、
母は、私を国際弁護士でも、東大卒のエリート官僚でも、
どこへでも嫁に出せると自負していたのですが、そんな母に、
母の親友が言い放ちました。
「あんたは、自分の娘が世界一だと思っているかもしれないけど、
あの程度の子ならいくらだっているし、どうってことないわよ。」
その一言のおかげで、私は結婚ができたと思っています。
母にそう言って、冷や水をかける
友達がいてくれたおかげです。母もそう言われて、なんとか自分の気持を収めることができたのです。
どんな小さなことでも、そこに幸せを感じられるか感じられないかは、
その人の人生を大きく変えるし、毎日のささいなことを感謝しながら、生きることができる方が、
文句ばっかり言って、足ることを知らない人より、何億倍も幸せですね。
一回きりの人生を、文句を言ったり、自分は不幸だ不幸だと言いながら暮らすなんて、
こんなにもったいないことはありません。
気は持ちようで、いくらだって、自分は幸せだと思いながら生きることはできると思いますが、
それができたら苦労はしないと反論する人もいるでしょうね。
それも性分や性格かもしれないけど、自分で努力して、多少なりとも矯正していくことはぜったいに可能ですし、
そうしていかなければ、人生は開けて行かないと思います。
前に、一緒に仕事をしていたカナダ人の女性で、彼女は感情の起伏が激しく、
そんな自分自身がとても嫌で、いつもご機嫌さんの私のことが不思議でしょうがないと、
どうしたらそうなれるのか?と聞かれたことがあり、
彼女が言うには、海外にある宗教団体で、「WWJD」というブレスレットを信者たちはつけているようで、その意味は
What would Jesus do でその頭文字をとって、WWJDということらしく、
こういう時、神はどうするだろうか?と考えて行動しろということのようです。
いつでも神の指針に沿って、行動しろということですね。
そのカナダ人の女性は、「私は、WWRDのブレスレットをつけてこれからは生きる」
と言っていました。
Rは、私の名前の頭文字です。
何か困難が起こったら、こんな時私ならどうするかを想像して、自分もそのように対処すると言っていました。
何か新興宗教でも始めようか?と思っちゃいました笑