海の家をやっていた夏

桜新町の結婚相談所グッドライフの、秋山です

いよいよ本格的な夏という感じで、毎日暑いですね。

夏になると思い出すのが、今から10年ほど前、逗子海岸で、ひと夏、娘と二人で海の家を経営したこと。

娘は大学時代の4年間、毎年夏は逗子海岸の海の家で、バイトをしており、

それはそれは楽しい経験で、卒業したら、就職はしないで、その年の夏は海の家をやりたいと言い出し、

私も実は一度やってみたいと思っていたので、

 

それじゃ、いっちょやってみるか

 

ということで、海の家の権利を持っている人から、その権利を買い、

大工さんに頼んで、建物を建て、電気や水道を引き、

中のつくりは、父が大工仕事が得意なので、たなをつくってもらったり、

3日間監禁して、活躍してもらいました。

 

逗子海岸は6月末が海開きなので、そこから始まり、

その年は不運にも、梅雨明けしたのが

8月2日、閉店は8月26日という厳しい状況で、

その短い間に売り上げを上げなければならず、それはそれは大変な夏でした。

7月の海の日の連休、一番の稼ぎ時の直前に大潮が来て、

波がどぶんどぶんと海の家を襲い、

大量の泥が一番奥のシャワー室まで入り込み、冷蔵庫が水につかって、

ショートし、中のアイスクリームを近所の友達にあずけるため、電話をしまくったり、

水に流されそうになるオーディオ設備を必死に守ったりと、

本当に今思うとマンガのように大変でした。

ようやく晴れて、海の日の連休に営業できるようその前夜は徹夜で、復旧活動をしました。

大潮が襲った時には、どこの海の家も必死に自分の店の周りに穴を掘って、水が入ってこないよう必死でしたが、みんな被害にあって、泣いていました。

 

海の家はばくちです。

 

天気がすべてで、天気が悪かったらお客さんは来ないし、売り上げはゼロです。

 

梅雨が明ける前は、海の家でのお見合いパーティーを何度か企画したり、

BBQパーティーを企画したり、夜はディスコパーティーを企画したり、朝ヨガ教室もやって、

少しでも人にきてもらえるよう、がんばりました。

 

娘は4年間のバイトで、要領はわかっていたし、

とにかく一人でも多くお客さんを呼び込まなければならないので、そこはとても上手で、

結果的には娘の力量で、大変うまくいきました。

海の家は規則があり、隣の海の家を通過しているお客さんを呼び込んで自分の店に入れてはいけないのです。

また波打ち際までいって客引きをすることも禁止で、

自分の店の軒下から離れてはいけなくて、自分の店の前を通過する数秒の間に、

売り文句をいろいろ言って、呼びこまなければならないのです。

母娘でやっている海の家なんて、逗子海岸ではうちだけだったので、

家族連れやカップルなどは、皆うちに入ってくれましたし、リピーターも多かったです。

 

また面白いと思ったのは、おじいさんが一人で朝早くやってきて、

ひと泳ぎして、生ビールを飲んで帰るというパターンが意外に多く、

東京からでもそういったおじいさんの一人利用が多かったです。

 

そんな早起きおじいさんのために、朝もできるだけ早くから店を開け、

夜は夜で、海風を受けながら、お酒を飲んでもらうという営業形態で、

今考えると、必死とはいえ、本当によくやったなあ~と思います。

今やれと言われてももう絶対にできませんね。

赤字になって、借金ができてもおかしくなかったけれど、

幸いにも黒字で終わることができ、これはここで調子に乗って来年もやろうなんていう欲は決して出してはいけないねと娘と

決意し、ひと夏で終わりにしました。本当に大変だったけれど、娘との一生の思い出です。