母の深い~い話

桜新町の結婚相談所グッドライフの、秋山です

うちの母は、19歳で父と結婚し、20歳で私を産んだので、
私とは20歳違いで、私の同級生の中では、ダントツに若いお母さんで、
子供のころから私の自慢でした。

父の両親と最初から同居、隣の家には、父のお兄さん家族が住み、
父の出戻りのお姉さんも一時同居していて、舅、姑、子舅に囲まれ、
そして、舅が病気で寝たきりとなり、昔だったので、
亡くなるまで、家で面倒をみるというそれはそれは大変苦労してきた人です。

20代半ばで、舅の下の世話も毎日やり、今でもよくそのころの話が出ますが、

聞くも涙、語るも涙の話ばかりで、本当にこれまでよくやってきたなあと、
ただただ感心するばかりです。

そして、今も認知症の父と毎日暮らしていて、苦労が多いのですが、昔の苦労に比べたら、
今の苦労などなんでもないわと、言っています。

10年前から自分自身も膠原病になり、一生この病気とつきあっていかなければならないので、
一切無理はできないし、一日一日をなんとかだましだまし生きている感じなのですが、

本当に周りの人たちに信頼されていて、たくさんの友達がいます。

私が実家で、母と話をしていると、毎回とても深い教訓めいた話が多く、
今までいろいろな経験や想いをしてきた母だからこそ、
という考え方や物事のとらえ方があり、

何か新興宗教でも始めたらいいのではないか?と思うほどです。

まわりの友達もみな、たぶん母と話をしていると、
とても教えられることも多く、そういうふうに考えればいいんだね、
ということもたくさんあり、それでまわりにどんどん人が集まってくるのだと思います。

 

あまりに交友関係が広く、友達が多いので、いつも

「お葬式の時に、連絡しないといけない人たちのリストと連絡網を、作っておいてね」

と言っています。

 

とてもまじめで堅実、常に目標を掲げてそれに向かって努力をする

やると決めたら毎日必ずこつこつ続ける、

楽な道を決して選ばない

常に人の役に立てるように人のために何かをすることしか考えていない

 

そんな母なので、今自分の病気とプラス年齢もあり、今までのように自分の身体が思い通りに動かないことを大変憂いて、

もっともっと人の役に立ちたいのに、その気持ちがあるのに、身体が動かないのが悲しい

と、毎日言うのです。

それでも、なんとか弱ったからだを奮い立たせて、台所に立ち、
退院したばかりの友達のためにおかずを作ったりしていて、私がその友達に届けに行くと、

「私はあなたのおかあさんのおかげで、生きているのよ」と言います。

 

あなたのおかげで生きていますと言われることが母の原動力なのだと思います。

今までの人生、すべて人のために力を尽くして生きてきたので、だれかのために何かできないと母は生きていけないのです。

 

これからもずっと「だれかのために何かしてあげられる」母でいられるよう、

私もアシストに入って、母には元気でいてもらわないとなりません。